Nippon Steel Corporation Nagoya Works  Amateur Radio Club  JH2YXC 02.04.21

   菊池信夫氏カナダ滞在記特集   JP2GCO 菊地信夫 
  

今回、初めて海外長期滞在を経験した。観光だけではなく娘の嫁ぎ先であるカナダ ケンモアというカナディアンロッキーのど真中の小さな街で01.12.05〜02.02.01まで約2ヶ月間滞在した。その時の気持ちを262編の短歌形式で書き綴った。

(クラブ報に載せるにあたりAENが日記風にアレンジしました)                            

12/05
テロのせいで関空発に変更となる。息子に関空まで送ってもらったが6時間前に出発。時間とお金がかかる。バンクーバーで国内線に乗り換えカルガリーへ。カルガリーの町も、牧場もすっぽり銀世界になっている。ここから迎えの車でケンモアへ向かう。町では昼間でも車のライトは点灯して走行する。これがカナダでもアラスカでもあたり前の事。娘の家庭に落ち着くとまずは日本から持参した英和、和英の電子辞書を片手に単語から勉強しなければならない。耳が痛く感じられ風邪でもひいたかと思ったがそこれはマイナスの世界、身体が順応していなかったせいだとわかった。
12/06
今度は時差ぼけなしにカナダ生活をエンジョイしよう。それには何をするか。カナダでの生活を何らかの形で残しておきたい。そこで思いついたのが、川柳、短歌に詠むこと。その作品はE-mailAEN局へ送った。ただ使用中のパソコンが日本語対応になっておらず、ローマ字で書かねばならないもどかしさがあった。
真夜中に泣き出す孫の子守りをしているとこれがサンデー毎日人生の生きがいかと感じると共にいつも一緒に生活している知多の孫達の顔が目に浮かぶ。母親が、入院中の長男の付き添いで家にいないとき残された孫娘の亜香里は母親が恋しくて泣く事も度々有った。こんな生活が2年も続き孫達が不びんででならなかった。この時は家族全員が力を合わせ地獄を乗り切る事が出来た。この時の事を思うと今は最高に幸せである。こんな生活をしているとボケる暇はない。家族のためにもっともっと頑張らねばと思う。今日は氷の流れるボウ川の岸辺のウォーキングに出かける。赤の防寒コート、帽子、靴 全てJhon からの借り物である。外はマイナスの世界であるが部屋の中は暖房が効いて半そで、半ズボンで過ごせる。それだけ暖房費がかかることになる。
12/08
今日は暖かい、それもその筈 外気温はプラスとなっている。暖か さにつられ外に出てみると子供達も公園で元気に遊んでいる。柵の 上にはリスがこちらを眺めている。えさは有るのだろうかと心配 になる。
12/12
現役時代のことを振り返る。けして名刺で仕事をしてきたつもりはない。良 き上司、部下に恵まれて楽しく仕事をして来れた。今、退職しこうしてカナダで過ごせるのは娘夫婦の縁があったからこそ出来る事。津島市在住の長女にこちらの近況を事細かにmail を出すと簡単明瞭な返事がきた「まあー頑張って」!!!英語、ローマ字の文章しか使えないがAEN局とも何回もやり取りした。
「岡野さんなぜか英語が混じってるハムなら生で聞こえるものを」
(AENGCOさんとmailをやりとりする為、和英、英和の電子辞書購入) 巨人総監督 長島さんモードである。
12/16
孫のためジャングルジムの組み立てをする。早速孫がきてこれで遊び自由に動くコツをつかんだようだ。探していた地図が見つかり気になっていたケンモアの標高がわかった。なんと1309m。
12/18
町のレストランに昼食を食べに行った時、見知らぬ人から声をかけられる。こんなところに知り合いはいないはずでなんの事かと娘に聞いたところ人違いであった様だ。鼻ひげも格好がついて顔になじんできたようだがこんなところで人違いされるとは。地図を買い毎日眺めていると全体感がぼちぼちつかめてきた。
12/20
鼻ひげのツララを払い落としながら外で作業。今日はちょっと寒い、寒暖計を見るとマイナス15℃であった。ボールペンでメモをとるとみるみる字が薄くなっていく。これも寒さのせいか。ロッキー山麓のケンモアの冬は半端じゃあない。この町も100年前迄は炭坑が盛んでかなり賑わっていたようである。今でもその名残が所々に残っている。
12/24
初めてラディソンホテルのクリスマスディナーに出る。ワインでmerry Xmas  日本とは比べものにならないでかいステーキを頂く。これが本場の Xmas イブか。
12/29
 マイナス22℃の世界へハイキング。この気温は60歳にして初体験。歩きはじめたもののカメラもペンも機能しない。目出し帽をかぶるも鼻が痛い。
1/1
「元日に久しぶりに初笑い、テレビジャパンはなにわ一色」
カナダにいても日本のテレビが見れる。長生きはせんと行かんなー。楽しい事ができる。John と会話、happy new year 彼は正月も関係無く仕事。道路沿いの池が凍結しスケート場に変身。孫を乗せたそりを押して遊ぶ。
1/2
今日はマイナス10℃、暖かい。1日の始まりはまず寒暖計を見ること。こちらに来ている期間を無駄にすまいと大いに楽しむ。そのひとつに短歌つくりもある。

1/3
暖かいので耳当てや手袋を着用せずに散歩に出かける。気温は0℃。どの家にも煙突が2、3本出ている。室内には暖炉が設けられ全室暖房がなされている。日本では大雪とのニュースが流れていたがここ、ケンモアはしばらく降ってない。昼間からビフテキ料理にワインで乾杯。A happy new year
焼酎が飲みたくなった。15日に来る事になっているカミさんに持ってきてもらうことにした。

海抜1500mの湖面が全て結氷、夏は泳ぐ場所とのこと。坂道を孫を乗せて3輪車を押し上げると汗だくとなる
娘がゴミ袋の底を切りとって孫の頭にかぶせ散髪屋を開業。まさか娘がここまでやってるとは。私はここ数十年理髪店に行った事が無く「カミさん理容師」の御世話になっている。親子二代の理容師である。
海抜1500mの沢越えハイキングを計画していたが津島在住の娘に「年齢に見合ったことをするように」と注意され断念することにした。ロッキーの山に抱かれたバンフの温泉に行く。ここは露天風呂があり吹雪の山頂がすぐそこに見え中々のものである。2時間後に迎えに来てもらう事を約束してのんびり温泉に浸かる。将来御世話になるかもしれないデーサービスか。入浴後バンフの町ですき焼きを食べる。日本人はどこにでも進出しているので日本食の店は多い。

1/9
地図を見ていると行きたいところがたくさんある。今日の行き先を告げひとりで出て行く。片言英語でもしゃべりゃー何とかなる。ロッキーの頂上に人が立てば見えるようなところまで行った。娘の成長をしみじみと感じる。4年間の異国での生活で精神的にもタフになった。John ともよく喋っている、私には何を言っているのか判らないが世間話か?。表情も外人同様豊かである。私の子供であり私の元で育ったのに異国の地で生活し私の判らない言葉で喋っている。何か不思議なものである。ハイキング中canadian pacifc 鉄道の線路に出くわした。レールを良く見ると「新日鐵製」で有った。こんなところで自社の製品に出会うのも嬉しい。

1/16
カミさんが焼酎等頼んでおいたものを持って来てくれた。カナダで飲む焼酎のお湯割りの味はまた格別。カミさんが来たのを機会にアジアの店でキムチ鍋の食材を買い込む。今宵はカナダでのキムチ鍋による誕生パーティ。
1/24
津波さんのHP開設を知りお邪魔してみる。画像は良いが文字はお化け。日本語対応に設定しなくちゃー。
1/25 久しぶりに外は真っ白、何回雪かきをした事やら。カミさんと故郷岩手を思い出し雪だるまつくり、創作ということは何歳になっても楽しいものだ

1/28
孫を預けカミさん、娘と3人でスイスディナーに出掛ける。カナダまで出掛けてきた私とカミさんも充分カナダ生活をエンジョイする。こんな長期の滞在ができるのも娘家族がいたからこそ。今度会えるのは何時になるか。
1/31
いよいよ帰国の日、ハイウエーをカルガリーへ向かう。空港でチェックインにほっとする。とりあえずJohn に電話をいれる。「All finish 」バンクバーで、乗り換えゲイトを間違え再度、荷物検査を受ける羽目になるが無事乗り換えて2ヶ月振りの日本へ向かう機上の人となる。機内では、ランチ、ディナーの前後にブランデー、ワインが出る。これがまた楽しい。おかわりは座席のコールボタンを押して呼べば持ってきてくれる。
今回は
56杯飲んだかなー。2ヶ月間のカナダ生活は家族の絆を深めると共に私達夫婦にとっても大きな意義の有る生活でした。



 菊池信,岡野、定年退職祝い花見の宴

             


3月30日 JA2DXI(甲斐OM)の呼びかけによりGCO,AENの定年退職を祝った花見が行われました。場所はクラブハウス前の桜通り。生垣により道路から見えない格好の場所です。日が落ちると寒くなったのでクラブハウスに場所を移して二次会。 御開きは午前2時でした。 
参加局(JA2DXI,JR2IEY,JF2CLC,JG2PXJ,JK2TOJ,JP2SBR,JS2GHM,JS2TPM そして JP2GCO,JK2AEN )


                                        

JS2TPMから御祝いの「久保田・萬壽」受ける 静かな花見です デジカメで撮影

 

 

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