春の木曽駒移動の歩みを紹介しておきます。
回 | 年月日 | 参加局 | トピックス | 備 考 |
1985.05.18 | JK2AEN 単独 | 名古屋製鐵所に転勤し手近な山、御岳を目指した | 日帰り | |
1986.05.17 | JK2AEN 単独 | 雷鳥を良く見かける | 日帰り | |
1987.05.07 | JK2AEN 単独 | 剣が峰(3063m)からスクエアロー、FT690でJG3ASQ運用 | 登山時間2時間 | |
1988.05.05 | JK2AEN 単独 | 駐車場を出るとすぐ雪、大滝頂上でアイゼン装着 | 時間2時間45分 | |
1989.05.28 | JK2AEN 単独 | 遅い時期の入山、無線運用なし | ||
1990.04.18 | JK2AEN 単独 | 黒沢口から入山、樹林帯雪多し、風強く視界不良、頂上直下の小屋までで登頂断念。5/20 再度、田の原から登山 | 4月、5月の2回登山 | |
1991.05.09 | JK2AEN 単独 | 駐車場を出るとすぐ雪。無線運用なし。 | みぞれまじり | |
1992.05.05 | JK2AEN JH8AQG JF8INU |
八海山から上は除雪なし。スキー場の駐車場に車を置いて歩く。1時間30分の余分なアルバイト。強雨、雪面 クラスト天候最悪。大滝頂上で引き返す。この日北アルプスで滑落事故多発。 | 室蘭 佐々木氏同行 | |
1993.05.16 | 12名 | 御岳の雪を見に行こうとクラブ員を誘い12名の参加となった。 | 日帰り | |
1 | 1994.05.20/21 | 15名 | 今回から木曽駒山荘1泊のYXC行事として スタート | 登山、スキー、無線 |
2 | 1995.05.13/14 | 13名 | 8合目で天候悪化。登頂断念、AEN喉最悪、帰宅後入院 | 温泉めぐり |
3 | 1996.05.18/19 | 11名 | AEN無線運用の為、奥の院へ、下りは尻セードで1時間弱で田の原着。 | |
4 | 1997.05.17/18 | 12名 | 剣が峰から二の池めぐり。翌日山菜狩。 | 所要3時間 |
5 | 1998.05.16/17 | 9名 | 雪少ない。AEN単独で継子岳まで足を伸ばす。 | 所要3時間 |
6 | 1999.05.15/16 | 14名 | 広畑との合同登山、JE3DZU,JF3HSL参加 | 所要3時間 |
7 | 2000.05.13/14 | 11名 | 除雪完了車乗り入れ可の日。さすがに雪が多い。 | |
帰りに下呂温泉 | ||||
9 | 2002.05.18/19 | 14名 | 堺製鉄所山岳部と合同登山 | 堺4名 |
10 | 2003.05.17/18 | 9名 | 登山隊4名 大滝頂上1名 剣が峰3名 | 権兵衛峠 |
11 | 2004.05.15/16 | 8名 | 登山隊5名 大滝頂上3名 剣が峰2名 | 剣が峰3時間 |
12 | 2005.05.21/22 | 12名 | 9合目トレッキング2名 大滝頂上2名 剣が峰5名 | 広畑2名 |
13 | 2006.05.20/21 | 5名 | 剣が峰4名 BC 1名 | たかの湯 |
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1983年10月 堺製鉄所時代 職場の人たちと初めての御岳登山2000年以前の御岳スナップ写真とトピックッス
2000年5月
2000年参加メンバー八合目で休憩 八丁ダルミ 1999年 広畑と合同ミーティング 御岳登山編
(JR3YOR)
八丁ダルミ
八合目付近雪渓を登る 田の原で記念写真 赤沢自然休養林 赤沢自然休養林、観光用森林鉄道
YOR&YXC合同登山
堺、広畑、名古屋の合同ミーティングを名古屋主催により開催。堺は参加者が無く名古屋と広畑の二所となった。YXCの御岳移動を合同ミーティングと兼ねる事にし合同登山をやった。広畑からの参加者はJE3DZUとJF3HSLの2名で有ったが両氏とも最近は無線より山にハマッテおり装備も最新式であった。夜は会場を木曽駒山荘に移しミーティング。
最近沈滞している三所ミーティングに刺激を与えるため中国、九州地区のミーティングに「今秋、光主催のとき名古屋、広畑も参加させてもらおう」ということにした。翌日は山菜ロードをウオーキングして、山の空気を満喫、秋には光で逢いましょうの合言葉で解散。
98’ 継子岳往復
5月16日午前4時15分、東海市を出発。恵那S.Aで朝食。8:30 田の原到着。雪は非常に少ない。6月中旬の残雪か。今までの御岳登山の中で一番少ない。9:00 登山隊はJK2AEN,JP2SBR,JS2GHMの三人。11:25 大滝頂上着。ここでAENはSBR,GHMと別れ単独で継子岳へ向かう。二の池までは昨年きているので状況は分っている。二の池から小さなピークを越すと「サイの河原」へとでる。ケルンが林立する盆地帯で異様な雰囲気がする。誰か呼んでいるような声が聞こえ振返りあたりを見回しても誰もいない。いるわけはない。足を引っ張られるような感じもする。何か不気味だ。早くここを抜け出さなくては。ここでガスにまかれたらちょっとやばい。サイの河原を抜け摩利支天への分岐のピークを下ると飛騨頂上である。ここまで来ると御岳北端の継子岳はもう目と鼻の先である。ところがこれからが大変。強風でまともに立って歩けない。小石は飛んでくる。この頃よりみぞれが降りだし強風とあいまって気温がどんどん下がる。ヤッケを着込み軍手を毛糸の冬用手袋に代える。田の原を出発する時は夏山、大滝頂上では春山、そしてここに来て冬山となった。ヤッケはバリバリに氷付いてしまう。しかしザックには毛糸のセーターも羽毛服も入れて有り寒さに対する不安は無かった。13:25 継子岳頂上。これより先、高いところは無い。御岳の北端まで来てしまった。丸いコッペパンのような頂上には風をさえぎる所が無い。少し下がって行
動食を食べる。
休憩なしですぐに今きたルートを引き返す。風はますます強くなり、飛騨頂上を過ぎたところは立って歩けず這って行った。摩利支天の分岐点を過ぎると風は大して吹いていない。「サイの河原」は一気に抜け出る。それでも行きと同じく誰か呼んでいる気配がした。二の池小屋に15:00着、休みたいところであるがSBRとGHMが待っているかもしれないのでノンストップ急行。硬い50mの雪渓2ヶ所をピッケルでステップを切りながら慎重にトラバースする。渡りきったところから大滝頂上が見える。誰か二人の姿が見えたがそれがSBR,GHMと判った時,八丁ダルミを走った。15:30大滝頂上着、継子岳から2時間で来た。早速BCのJS2MLPに合流の連絡。ここで残しておいたおにぎり1個を食る。BCはJS2MLPを残して他は下山、ふもとの温泉に浸っていた。三人で田の原まで駆け下り、雪で濡れたままの姿で下山。温泉メンバーと合流して木曽駒山荘へ。久し振り良く歩いた山登りで有った。
1996年96' 奥の院で無線運用 1997年 97' 剣が峰 3063m 1997年
97’ 二の池
92’JH8AQG JF8INU JK2AEN 三人の日帰り登山 木曽駒移動の原点
92’ 本来ならばスタート地点であるがスキー場駐車場から歩いた為ここまですでに1時間30所要
雪面クラスト、強風、困難な登り
1995年 第2回
天候悪化で初めて登頂断念 新日鐵木曽駒山荘
1989年5月
1988年5月
1987年5月
1985年5月 堺から名古屋に転勤してきた年
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