2007年YXC活動



     2007東海秋祭り 11月10日(土)〜11日
    

今年の東海秋祭りも例年どうり公園クラブ前のテントとクラブハウスから運用しました。
毎年、毎年アマチュア無線ブースに立ち寄ってくれる人は少なくなりクラブ員だけが空回りしているようです。
ただうれしい事に室蘭のNNEさんが出張を作って立ち寄ってくれたりTQVさんが吉本のお笑い芸人を乗せてきたついでに立ち寄ってくれました。
夜はBBXさんが家族と来てくれ「ちゃんちゃん焼き」を作ってくださりクラブ員一同感謝感謝でした。
東海秋祭りの楽しみはこの夜の宴会にあります。これが無ければ参加者が居ないでしょう。
次は1月19日の新年会を楽しみにして過ごします。

    

    


公園クラブと体育館の段差をスロープにして有りました

公園クラブは耐震補強してありました。

トヨタ車展示場、何件まとまるのか。

機材運搬用のリヤカーが故障したようです

公園クラブ屋上にアンテナ設置

幼稚園児の入場、これがないと客は半減します。

ワイン冷却器で冷却中

最大の楽しみ、宴会の始まり

ありがとうBBXファミリー

こんなコーナーも有りました

遠来の客、NNE,TQV NNE激瘠せ

AEN,NNE,PKK お久しぶりです。


               フィルドデーコンテスト(8月4日〜5日)

             

今年からフィルドデーコンテストはクラブハウス周辺で行うことにしまた。高砂山では特定の人に準備を依存してしまい負担がかかりすぎる為です。クラブハウス周辺でやれば宴会はクラブハウスで出来、準備が少しでも楽になります。
21時のコンテスト開始まで例年の如く宴会が始まります。コンテスト参加よりこちらがメーンとなります。21時を過ぎても運用場所に移動する人がいません。 運用場所は決めて発々は試運転完了してましたが実は準備がして有りませんでした。 
結局コンテスト参加の名目で宴会参加に終始しました。 宴会中も無線の話は全く出ずパソコン、政治、経済、メンバーの消息などに終始した楽しい宴会でした。
11月の東海秋祭りが楽しみです。

宴会開始直後 参加者10名、日帰り1名
ただいま19:11

CMAさんタコの燻製を披露、少々硬めだが美味しく頂きました。

奇妙なビンに入った芋焼酎、IEYさんが九州から取り寄せました。

タコとたまごを燻製にしました。

もうだいぶ時間が経ったか?テーブル上が片付いています。

飲み物は冷蔵庫にまだ有るが食べるものが無くなってきたか。まだ23時



         2007年 定期総会
           

3月31日 クラブハウスで定期総会を開催しました。
5月の御岳登山は縦走形式を取り入れ田の原から登山し中の湯に下山するコースをやりたいが検討する。
8月のフィルドデーコンテストは特定に人に負担をかけ過ぎるのでクラブハウス周辺に運用場所を替える。電源は発電機を使用しコンテストには参加する。
これに関連し6月の24時間運用(6m&downコンテスト)はやらない。 以上が昨年との変更点です。

総会の後、還暦花見で YXC桜苑に青シートを敷いて準備している最中、救急車のサイレンが聞こえ、そのうちドクターヘリが多目的グランドに着陸。 話によると構内で火傷災害が発生し5,6名被災した模様。しばらく様子を見ていたが、前々日にも社員の死亡災害が発生してるし こりゃー「人目につくところでの宴会はまずい」 という事になりクラブハウスでブラインドを閉めて静かにやることに変更。 しかし飲んでしまえば静かにともいかない。結局お開きになったのは午前1時でした。

            

平成18年度活動を振り返って 部長北村光章

昨年度も副部長・理事及ぴクラプ員の皆さんのご協カにより、御岳登山、東海秋まつり等多数の恒例行事を無事行うことができました。ありがとうございました。昨年度は私自身の無線部員としての活動実績としては参加度が低く、誠に不本意でありました。このような中、皆さんのご協カで無線部のアクティビテイを下げることなく、活動を推進していただいたことに対して、あらためてお礼申し上げます。今年は私自身としても楽しい無線ライフを長く続けられるよう、まずは健康第一でやっていきたいと思います。皆さん毛健康第一でお願いいたします。また今後のNSHCの継続・発展のために、皆さんの積極的参加とクラブ員の加入促進活動も是非お願いします。どうぞ身近な人をどんどん誘ってください。私も最近QSOから遠ざかっております。今年はモービルの復活と出来れば資格のステップァップをやろうと考えています。今年も高炉改修工事があり忙しい状況ですが、昔の楽しい無線の状況を思い出しながら頑張りたいと思います。

平成18年度活動を振り返って  副部長菊池清志

本年度もアマチュア無線部の活動をクリアー出来、部員の皆さんのご協力に感謝します。活動を振り返ってみますと、活動への参加者が減少気味が少し気になります。さらにクラブ員の高齢化も気になります。新入部員の加入促進も心掛けて頑張りたいと思います。



総会風景

花見場所「YXC桜苑」

ドクターヘリ 飛来

応急処置中か?

ドクターヘリに収容 病院へ搬送

ドクターヘリ離陸ます

本日の還暦主役 JS2MLPさん。

竹の食器、コップを作って行きました。
静かに飲んでいます。


     2007年YXC新年会

1月20、21日 新年会を豊浜荘で開催しました。
17時集合に対しGCOさんと16時に到着、すぐに入浴。17時には全員到着。 今回の料理は知多半島名物「タコの丸湯で」を事前に幹事にリクエストしておきましたがそれが受け入れられテーブルに見たことも無いようなでかいタコが2匹鎮座していました。 結局このタコが効いて舟盛りの刺身に手をつける事無く、またカニも片足食べただけでした。二次会はまずカラオケ、 KCHさんが英語の歌で目立ちましたが、それ以外はなつかしのメロディー大会でした。

呂号大瓶 「国の重要民族資料」

追加料理 カニとタコ

こりゃーでかい 重いよ!!

忠さんの乾杯ー

カラオケ熱唱 「青い山脈」

部屋の二次会 酒が多すぎる

各局の一言

JM2KCH(今春)仕事が忙しく運用はYXCの行事の時だけ、1200Mhzの免許を取得したので国内DXを目指す。54エレメント、4パラのループアンテナを作った、買えば4万円はするけど2500円で作りました。ブーム長が4m 固定で上げています。

JS2GCO(菊池信) これでも無線家のはしくれ、気の向くまま旅をしています。昨年はスペイン、ポルトガルへ行きました。今月は白浜、3月はミステリーツアー。現役時代より忙しい日々を過ごしています。

JS2GHM(山下百)今年は家紋を彫りたい。

JG2RIT(其田) コールを流してしまった。最免許申請の仕方もわからんしお金もかかるし・・・何とか再申請はしたいと思っています。

JG2PXJ(菊池清)56歳になりました。あと4年で定年です。

JA2DXI(甲斐)孫の授業参観に行くと1割は外国人です。孫は国際都市に住んでいます。21Mhzはコンデションが悪いが今年はサイクル24で上がってくるのでDXをやってください。私はDX愛です。

JK2AEN(岡野) 無線はコンテストの時か、YXCの運用のときだけ。Skypeで光、八幡、大分メンバーと話している。インターネット電話で簡単にお話ができるからねー・・・    最近は竹加工にはまっています。材料は近くにただで何ぼでもあるし楽しいですよ。

JE2CMA(津波)舟は10年やったから卒業しました。プロバイダーを中電のコミファに変えました。電話料金込みで安いですよ。

JR2IEY(中村)若いころ駅伝選手で平均より元気だと思っていたが今では飲んでいないのに飲んでいるような足取りになってしまった。運動をしないとこんな風になってしまう。皆さん運動をして健康な身体を維持してください。

JK2TOJ(市村) カラオケを聴いて青春時代に戻れた。


    

   呂号大瓶について 最初の写真でGCOさんが読んでいるのはこの説明文です。

秋水(しゅうすい)
太平洋戦争末期にドイツの技術を真似て開発された「ロケット戦闘機」
ドイツの Me−163b のコピーと言われているが、実際にはドイツから具体的な製造用図面を入手することができず、日本独自の工夫による部分も多い。
アメリカ軍の成層圏を飛行する重爆撃機 B-29 を迎撃する目的で開発・製造が進められたが、推進剤の確保が難しかったことや戦局の悪化により3機程度しか製造されなかったと考えられている。初飛行は1945年7月7日、横須賀飛行場で行われたが、発進・離陸には成功したものの、燃料系に問題があり、エンジン停止のうえ不時着に失敗し、テストパイロットは重症を負い数時間後死亡している。

2002年8月に三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所において、神奈川県内で発掘された機体を元に復元されている。


呂号陶器生産の背景

ロケット燃料の急激な増産に際して、その主体であった甲液がその取扱に特別な配慮を要したため、生産時や貯蔵する際に安全性確保に有効である特殊な陶器を使用する必要が生じた.
当然のことではあったが、「呂号陶器」と呼ばれていたこの特殊な陶器は、どのような用途に使用されるのかについては当時極秘扱いにされていたが、全国の陶磁器メーカーに対して増産の指示が発令された。大戦末期の国内陶磁器産業は、いわば「呂号陶器」一色となってしまった感があった。しかし二十年に入って更に激しさを増してきた空襲の反復により、労働力は低下する一方となり、しかも、いくら増産しても輸送手段にもこと欠くようになった中で八月十五日の終戦の日を迎え、これにより呂号陶器もまた生産中止となった。

その当時、「秋水」の開発は軍の超極秘事項であったため、関係資料や設備の殆ど全てが終戦とともに廃棄されてしまっており、戦後既に五十有余年を経た今日では、当時の様子をうかがい知ることのできる遺物は極めて少なくなっているが、愛知県常滑市には、今もなを呂号陶器の現物が残されているのは異例ともいえる。この焼き物で生きる市の象徴として、あちらこちらで散見される巨大なカメが、かつて「秋水」の甲液貯蔵用として製造された「呂号大瓶」である。この大瓶は、製造されていた当時にあっても、熟練した職人でも製作には特別の苦労があったといわれており、戦後、国の重要民族資料に指定されている。


手前が秋水 奥にゼロ戦

ゼロ戦

秋水
秋水



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