2002年の御岳登山                               2002年5月19日(土)〜20日(日)


新日鉄堺山岳部と合同登山
今特に今年はAENが所属していた昔の山仲間、「新日鉄堺山岳部」の4名と合同登山となりAENの楽しみが倍加した。PXJさんとKCHさんの2台の車で午前4時労館駐車場を出発。恵那のSAで朝食。この時点では雨が降っており山に登れるか気掛かりで有る。

八海山の民宿黒石荘で堺の4名と合流。14年振りくらいだが4名とも全く変わっていない、再会がうれしかった。自分も堺のメンバーとして来ているような錯覚を覚えた。雨はまだ降っている。今まで15年ほど連続で御岳に登っているが雨で登れなかったことは1度もなかった。とうとうその記録も破られるか。とりあえず田の原まで行って様子を見ることにする。30分程昔話をして天候回復を待つと雨は見事にあがり登山の準備をする。

突然DXIさんが叫ぶ 「岡野さん、山ちゃんの装備を見てやって」 どうしたのだろうとSBRさんを見るとその姿に唖然とした。「山ちゃん日露戦争のエキストラじゃあないんだから、それじゃ山には登れんよ」 なんとSBRさんは「土嚢」の、袋をスパッツ代わりに足に巻いている。恐れ入った根性。見かねて装備不足で登山を断念したAHHさんが自分のスパッツを貸し与えた。この二人の差は大きい。

こうして変な登山隊は9時出発。雪は例年よりやはり少ない。8合目あたりにくるとSBRさんは定位置に収まる。AENはいつになく疲労が激しく、おかしいなーこんな事では来年は学術調査隊だなーと思いながらやっとの思いで大滝頂上まで登る。先行していた堺の4名と佐藤さんはすでにガスの中、剣が峰へ向かいすでに八丁ダルミを過ぎて姿が見えない。私は疲労も激しく天候も悪いので後続の4名と共に大滝頂上で昼食後下山することした。

 昼食後、「剣が峰隊」が降りてきたので一緒に下山。それでも下山時は元気が出て尻滑りなどして下った。 視界界が悪かったが8合目近くになって「写真を撮るなら今」とばかりに晴れてくれた。急いで各人自慢のデジカメを取り出しシャッターを押す。10分ほどで再びガスが視界を悪くする。後は下るだけ。駐車場に14時30分到着。 今年は雪が多いと判断し実行日をおそめに設定したが遅い分、雪は少なかった。天候が悪くガスで視界不良、風も強く大滝頂上で引き返す事になったがその分早く下山し木曽駒ビレッジでゆっくり過ごすことが出来た。



御岳登山スナップ
      登山隊    堺登山隊とAEN 霧雨の中を登山開始 ガスの中 大滝頂上
堺メンバーとAENで記念撮影 一瞬の晴れ間に記念撮影 ガスの中を下山 尻セードのSBR


無線運用もKCHさん自作の6mBAND5エレアンテナでかなりの実績をあげたようだ。早めに「ビレッジ木曽駒」に入り疲れを癒す。「ビレッジ木曽駒」になってはじめての利用でどんなものか興味があったが、客も従業員も少なく気の毒に思った。客は我々のほかに3組10名ほどか。従業員は料理人、とホールに2名。計3名でまかなっているようだ。注目の料理は「木曽駒山荘」時代より良くなったと思う。料理は出来あがり次第持ってくるようで出来たてをいただける。それに上品になっている。料理人のセンスのよさか。 心配していた料金は割引があるのでかえって安くなっている。名古屋製鉄所の社員なら大いに利用すべき。
翌19日は高山へ行く堺のメンバーを送りだした後、瑞浪市の化石博物館に行く。
GCOさんが一度行ったことが有ると云うことで道案内をお願いした。15時頃クラブハウス着。反省会の後、解散。運転手の方々お疲れさん。実行委員のDXIさん、IEYさん有難うございました。
撤収完了 木曽駒へ向かう 駐車場に店した居酒屋  忠さん店長 挨拶する甲斐さん ビレッジ木曽駒 看板娘


       
   参加者 
登山隊  JK2AEN(岡野) JP2GCO(菊池信) JP2SBR(山下幸) JS2MLP(佐藤) JS2GHM(山下百)
学術調査隊 JA2DXI(甲斐) JR2IEY(中村) JG2PXJ(菊池清) JM2KCH(今春) JO2AHH(木村)
堺登山隊 丸岡邦彦(60) 室屋清高(53) 吉里安志(53)  L 竹本正幸(53) 

      

AENの悲劇はそれから始まった。帰宅後、夕食時一杯飲む気がおきない。こんなこと無かったいのに。なんとなく頭が痛いので熱を測ると38度程ある。疲れが出たかなーと思い早めに寝る事にた。翌20日は乙番勤務だがまだ熱が有る。まあーそのうち治るだろうと軽く考え無理して出勤。しんどかったので仕事を早めに切り上げ21時頃風呂に入って帰った。熱は依然と38〜39度有り、21日はさすがに病院へ行く気になり常滑市民病院で診断の結果即入院。6ヶ月の診断書が出て私のサラリーマン人生は終わった。以後、中部国際空港の建設工事を毎日眺めながらの入院生活となってしまった。 急性骨髄性白血病

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